2019年から順次、時間外労働に上限規制が適用される
現在、長時間労働や過労死などの問題がクローズアップされる中で、2019年から時間外労働への上限規制が大企業から順次適用される予定となっています。労働基準法70年の歴史において画期的とも評価されるこの規制はどのようなものでしょうか。
大学生の酒井君は、メディアから伝わってくる働き方改革関連の情報に興味を持ち始めていますが、時間外労働の上限規制で何が変わるのか全くイメージが湧きません。そこで、親交のある経営コンサルタントのK・エーイ氏に尋ねてみることにしました。
時間外労働の上限規制が政府の働き方改革への本気度を示している
―エーイさん、おはようございます!今日も質問があるんですけど、いいですか?
はい、酒井君が何か聞きたそうな顔してるとわかるようになってきました。私に答えられるものなら何でもどうぞ。
―ありがとうございます。新聞やテレビで「時間外労働に上限規制が適用される」って聞くことが多いんですけど、それってすごいことなんですか?
そりゃあすごいですよ!酒井君はすごいと思わないんですか?
―やっぱりすごいんだ!いやあ、そのテンションの違いを理解できないのが悩みなんです。大学のOBやすでに働いている友達と話すと、「これはすごい」ってみんな言うんですよ。
時間外労働の上限規制は働いていると実感わきますからね。
―何がそんなにすごいんですか?
何がと言うと、まずはそのまんまですが「上限が決まった」ということです。基本的に労働時間というものは労使間の合意があれば、どうにでも決められるという認識がありました。だから過労死などの問題が出ても、大きな変化は無く、青天井の状態を貫いている現場がほとんどです。それに、たとえ明確な問題があったとしても個人差や仕事内容による差も大きく、問題だとは思っても、なかなか労働時間の上限を数字化することが難しかったんです。
―そうなんですね。残業代を払わないといけないから企業も無理に残業はさせないものだと思ってました。
いや、そういう企業もあるけど、残業代には上限があるのが普通だし、そもそもサービス残業と言われる残業はブラックじゃなくとも少なくないんです。
―じゃあ、確かに時間外労働の上限が決まったっていうのは大きいことなんですね。
時間外労働の上限規制が決まったことのさらにすごいのは、今までも努力するように促す内容はあったんですが、今回それが法となり、罰則規定まであるということです。働き方改革に対する政府の本気度がうかがえる内容と言ってもいいと思います。労使間の協定で決まったことに口は出さないというスタンスから、国が介入して監督することを決心したわけですね。
―なるほど。そういう意味でも時間外労働の上限規制ってすごいんですね。
もうちょっと言うと、そういう制度ができることによって、現場は変わらざるを得ないということです。時間外労働の上限規制ができることで生じる混乱は企業の規模や業種によっても様々で、つい及び腰になってしまうんです。しかし、この制度ができることでそうも言っていられなくなりましたから、いいところも悪いところも含めて時間外労働の上限規制は「一大事」という感じなんですね。
時間外労働の上限規制の具体的な内容は?
―でも、そんなにみんなが大騒ぎするほど時間外労働の上限が規制されるんですか?
はい。まず、時間外労働の上限は、月45時間、年間360時間と基本になる数字が定められました。
―これは厳しい規制なんですか?
いや、厳しいというほどではないですね。1日にすると1~2時間の時間外労働ですから。しかし、これはすでに決まっていたもので、周知もされています。しかし、法的な拘束力はなかったんです。
―なるほど。それで時間外労働の上限が簡単に破られて、過労死などの問題が生じていたんですね。でも、それじゃ回らない仕事もあるんじゃないでしょうか?
はい。そこで、特例で時間外労働は月100時間未満、2~6カ月平均で80時間以内、年720時間までといった緩和ルールを作り、繁忙期や時間の調整が難しい業界・職種については対応を促すようにしています。
―このあたりの数字は、やはり「過労死ライン」がもとになっていそうですね。
はい。明らかに疾病への影響が大きく見られる月80~100時間を超える時間外労働を意識した数字の設定となっていると思います。マックスでも過労死ラインを下回るような業務設計と実行を求めているわけですね。
―この時間外労働の上限制度の特例が認められるのはどういう場合ですか?
まず、繁忙期などの季節的なものや特別な事情のあるもの、トラック運転手などの自動車運転業務、復旧・復興にあたるための建設事業、研究開発の業務、医師などが該当します。ただ、いつまで特例が適用されるかはそれぞれ違います。
時間外労働の上限規制のメリットは労働者の健康と生活が守られること
―時間外労働の上限規制では、やはり労働者の健康が守られることがメリットと考えていいんでしょうか?
そうですね。間違いのないメリットはそこにあります。今までは青天井に時間外労働が行われていたところから、上限ができることで間違いなく楽になります。また、労働時間の把握や医師への健康診断の受診義務なども推進されますから、労働者の心身の状態の改善が期待できます。
―これで過剰な労働時間に苦しむ人が少なくなるといいですね。運転や高所作業をする人だと、健康状態が悪いことで大事件になりかねませんし。
本当にそうですね。そして、もうひとつ大事なことに、労働者の生活が守られるということがあります。働いて、食べて、寝てという活動だけが現代人の生活に必要なものではありません。時には休み、遊び、学び、周囲とコミュニケーションを取り、自分の役割を果たすこと、そういったことが必要です。
―趣味の時間や他者とのコミュニケーションが減ると、気持ちも滅入って鬱になるとよく聞きます。そういう点でも有効なんですね。
はい。厳しく、過剰な労働から精神疾患が生じてしまう人も多くなっていますから、大事な処置だと思います。それに、こういう時間を自分が必要な分だけ作って仕事とバランスを取りながら生活することが「ワークライフバランス」の考えであり、これを各自が十分に考えられる社会を働き方改革では目指しています。
―確かに、ワークライフバランスを考えたくとも、いつどれだけ残業があるか予想もつかないような仕事だと考えようがないですね。
企業側としても労働問題でイメージダウンすることを避けられますし、プライベートが充実することで仕事に身が入って生産性が上がるなどの期待もできます。ブラック企業と言われる企業には痛いかもしれませんが、社会的なメリットは大きいと思います。
時間外労働の上限規制のデメリットは実は複雑
―時間外労働について上限規制ができたというのは、いいことだと思うのですが、今まで規制がされなかったのは何かデメリットがあるからじゃないんですか?
そうですね。そのデメリットの部分は非常に複雑で、時間外労働の上限規制法ができるとしても完全にクリアされるとは言えませんね。
―たとえば、どんなデメリットがあるんですか?
ひとつは、生活のために残業している人がいる場合ですね。残業代が無いと十分な生活ができない場合、残業代が減ることで生活に困ります。あるシンクタンクの調査では、業界によっては賃金の約10%以上が残業代によって出ているところもあります。
―収入が10%以上減るってなると困ったことになりますね。
ええ。しかも法の力で強制的に時間外労働の上限を規制するわけですからね。社会全体では、名目賃金が2.6%低下するという試算もあり、つまりは同じ水準の賃金を維持するにはそれくらいの賃金上昇が必要ということになります。
―それだと企業には負担になりますね。別にブラック企業に限らずとも。
だからなかなか時間外労働上限規制の導入が難しかったんですよね。賃金を維持するためには商品やサービスの生産力が維持されていないといけませんが、労働時間が減ることによる生産力の低下を防ぐためには、それだけ事業を効率化し生産性を高める必要があります。
―そんな簡単にはいかないんですか?やっぱり。
運送業・郵便業などは特に難しいでしょうね。賃金が10%下がるとして、それを維持するために車の速度を10%上げたり、積載量を10%上げるってわけにはいきませんから。同様に建設業なども大変でしょう。時間外労働の上限規制を導入することで結果的に事業活動が回らなくなるリスクがあるからこそ、今まで議論はされど踏み込めなかった部分があるんです。
時間外労働の上限規制が始まるとどうなるのか
―時間外労働の上限規制は、デメリットの部分を考えだすとかなり導入に気を遣いそうですね。
はい。今後は、月に60時間を超える時間外労働については中小企業も50%以上の割増賃金が義務付けられるようになりますし、規模の小さい企業ほどその影響が大きく出るかもしれません。
―どうして今になって政府の本気度が高まってきたんでしょう?
やっぱり、過労死の問題や長時間労働に端を発する事件事故が増え、人々の関心も高まっているからでしょう。多少政治的な背景はあると思いますが、時間外労働の上限規制は、今なら多くの人にメリットがあると判断されたんでしょうね。
―僕みたいな学生でも意識しておいた方が良いことはありますか?
そうですね。まずは時間外労働の上限規制ルールをしっかり把握することでしょうね。今回の規制では、労使間で行われる36協定があっても労働時間の上限が決まっています。だから、本人が知らずに合意していたとしても、違法な水準の時間外労働になっていれば労基署に訴えることが可能です。
―なるほど。ブラック企業だった場合に知らないと過剰に働かされてしまうんですね。
また、特例が認められている場合でも、基準になっている範囲に近づけるように努力義務が設定されているので、常に時間外労働を減らすための圧力が会社や社員にかかるでしょうね。
―これは仕事が多い人にはプレッシャーになりそうですね。
ですが、悪いことばかりではありません。時間外労働の上限規制は、生産性を高くすることを求められる一方で、賃金を上げる方向にはなるはずだからです。仕事が回らないからと人を雇うよりは、賃金を上げて頑張ってもらった方がいいはずですから。離職が最大のリスクになるので、雇用を安定させるためにも賃金アップを企業は選ぶでしょうね。
―それは労働者にとっては耳よりな話になりますね。
さらには、時間外労働の上限規制を導入することで企業は労働時間の管理を徹底するようになりますから、時間外労働は減っていくでしょう。するとワークシェアなどが始まって、それまでだと就業が難しかった人も就業できる可能性も高まります。そうなるとワークライフバランスをより考えやすくなりますね。
―残業代を生活費の面でアテにしていた人はどうなるんでしょう?
そういう人はより賃金の高い仕事を探すしかなくなるでしょうね。少なくとも、残業時間が規制されたおかげで転職活動はできるようになると思われますから。
―時間外労働に上限ができるだけで、こんなにもいろんな面で違いが出るんですね。
はい。だからこそ、時間外労働の上限規制はすごいすごいと言われるんですよ。最も、対応をしていくことになる政府や労基署、そして企業にとっては非常に大変極まりない問題なんでしょうけど。猶予期間などもありますが、それでも難しく考えている担当者も多いんじゃないでしょうか。
時間外労働の上限規制への対策は早めに行っておくべき
―時間外労働への上限規制って、もう2019年から始まるんですよね。
はい。2019年の4月1日から大企業に適用、そして2020年の4月1日から中小企業にも適用されることになります。もう時間があまりないですから、早めに対策を始めておくべきですね。
―時間外労働の上限規制対策としてどういうことができますかね?
企業の内部でするべきこととしては、社員への教育と、業務のスリム化、労働時間の把握、そして必要な人員の見直しなどからスタートでしょうね。その上での様々な生産性の改善策の実施が必要となるでしょう。
―もうそれだけ聞いても大変そうですね。
はい。ゼロからだと、専門のコンサルが入っても半年以上かかるだろう取組みです。企業規模が大きくなるほど大変でしょう。
―個人では準備しておくことはないですか?
個人のレベルでは、まずは時間外労働の上限規制や法についてしっかり理解することですね。そして、その上でワークライフバランスをしっかり考えることです。それが自分にあった職場や職種を選ぶことにつながっていくと思います。働き方改革関連のトピックは様々にありますが、それぞれ関連性があるので、時間外労働の上限規制だけでなくいろんなテーマを考えてみてほしいです。
―なるほど。頑張ってみたいと思います。それにしても、時間外労働の上限規制からこんなに色々な話が出てくるなんて正直思ってもみませんでした。残業の問題って一部の話だと思っていたんですけど、いろんな点で社会が大きく変わるんですね。エーイさん、今日も貴重なお話ありがとうございました!
時間外労働の上限規制は労働環境に大きな変化を与える可能性がある
時間外労働の上限規制は、罰則を伴い、法的な拘束力を持つことによって、労働環境に大きな変化を与えると見られます。2019年4月1日以降、順次導入されていくことになりますが、しっかり対応して事業を維持するためには早めの準備が必要不可欠です。また、個人としても新しい制度やルールをしっかり理解した上で、ワークライフバランスを考えてみましょう。